ドキュメンタリー
八甲田大岳「駒の雪」を探る

 その六   7月14日


◇   七夕の日、「駒の雪」は美しく完成!!

7月7日・・・・七夕の日。昼すぎになって「駒の雪」は七戸の里に美しい姿を現した。7月に入ってからも、この地方は視界がすぐれず山は厚い雲におおわれていた。「駒の雪」はどのような姿態を見せてくれるのか?! もしかしたら完成した姿を見せないまま消えていくのでは・・・・といった心配をよそに、この日から翌日まで青空のもとに美しく映えていた。
昔日を想う。村人たちはこの日を待ちこがれ最高峰の大岳から「駒の雪」が微笑みかけたこのとき、たちまちのうちに村中に知れ渡り、そして歓声をあげたのではないかと・・・・。2001年7月7日、青々と育った田園は、野良仕事をするひと一人いない静けさだ。ときどき、よく舗装された農道を乗用車が一台二台と通り過ぎていくだけである。



写真@ 青々と育った田園には野良仕事をするひと一人いない静けさ。遠く八甲田山大岳の東側斜面に「駒の雪」が美しく完成した。(田向、7月7日)


◇   天空を駈ける「白馬」・・・・。

厚く厚く雪がへばりついていた八甲田山大岳の東側斜面。この大雪渓の真ん中に縦の亀裂が入ったのは6月9日のこと。この5日前に現地を踏破した「青森の自然」の棟方氏は、まだ5mの積雪はあると私に教えてくれた。あれから1か月、ふたつに分かれた大雪渓はそれぞれの形を変えながら、右手の雪渓は「駒の雪」に姿を変えたのだ。 その姿かたちは、南を向いて「天空を駈ける白馬」とでもいおうか。イマジネーションを働かせながら今様に見ると、恐竜とかさまざまなかたちが連想できる。しかし、ここ七戸の里から見るかぎりこれは「白馬」でなければならない。



写真 A 七戸の里から見た「白馬」。南を向いて天空を駈けている。 (田向、7月7日)

◇   「駒の雪」・・・さまざまな姿態



写真 B大岳から真東に6.5qの黒森山麓から。
(6月30日)



写真C 七戸牧場(同8q)から。
(6月30日)



写真D 八幡岳西登山口から。「駒の雪」完成と見なす。
(7月7日)



写真E 写真Cから1週間後。(七戸牧場、7月14日)

「駒の雪を探る」では、撮影に万全の態勢を敷いてきた。棟方氏には山上からの記録でお世話になり、友人・三浦博氏には縦横無尽の記録をお願いした。山が見える日も見えない日も念のため現地に立った。私の場合、3回のうち2回の「視界ゼロ」に自らを奮い立たせた。つぎにさまざまな姿態を掲げる。
写真Bは、大岳から真東に6.5qの黒森山麓から6月30日の状態。前山の雛岳に3分の1は隠されちょうど「駒の雪」が前のめり気味に見える。写真Cは同じ日に東から少し北に寄った七戸牧場(同8q)から見たもの。右に「駒の雪」、左に無名の残雪。
写真DはCより少し南寄りで10q離れた八幡岳西登山口。ここはほぼ七戸町の中心部(同23q)と同一角度にあり中間点とみてよい。顔の下の残雪が消えてすっきりした白馬の形になった。7月7日のことでこれを完成と見なすことにした。写真Fはさらに1週間後に、雲間から引きずり出した七戸牧場からの姿。前足からすぐ後ろの胴部がくびれてきた。やがてここから分離するのだろうか。

 ◇   伝承の意味するものは ?!

「駒の雪を探る〜其の2」に、つぎの言い伝えを紹介した。寛政5年(1793)2月16日、木村謙次の七戸町で書き留めた『北行日録』に、
A.・・・・此処ヨリ富士山ノ形ニミユル山を駒カ岳と云、土人其消ル形ヲミテ農候トス、口ヲ切ハ三月節下アゴ落ト名ツク、
B.腹帯切レハ四五月節ハラヒモ切レ了リ残ナク消解スルヲ農熟ノ候トス。とある。
大正11年、大町桂月は、大岳の万年雪を下りながら鹿内辰五郎から、
C.『雪解けの時、七戸方面より馬の形ちに見ゆることあり。この二雪田はその残骸なり。三年つづきて馬の形見ゆれば、必ず凶作なり』と聞いている。
今回の取材で5月12日、田植えが始まった田向地区で、7反歩の田圃を作っているという77歳の男の人から、
D.「どの山にどのように出るのか良く分からないが、馬の腹帯が切れれば暖かくなるんだ!! 」とよく聞かされた。
Aには「口が切れる、とか下顎落ちる」とありこれは3月。Bには「腹帯切れる」4、5月。暦は旧暦なのでこれより遅くなるが、「口」「下顎」「腹帯」がどこをさすのかまだまだ検証が必要で、これまでの材料ではコメントができない。今年の聞き取りのDは、この言い伝えそのものは裏付けている。そして「腹帯が切れれば暖かくなる」というのは、雪消えが順調に進めば暖かくなり、すべてが良い季節になるという意味と理解できる。
Cについて、馬がやがて二つの雪田になる。このように二つにならないで「馬」の形が(遅くまで)残っていて、それが3年も続くということは大変な冷害であり、悲惨な凶作の前触れですよ、と言っているのだろう。前項の7月14日の形について、胴がくびれてやがて分離するのか、と記したが今後を見守りたい。
6月22日、地元のタクシーに乗って取材を行っていた。ドライバーは七戸町の山間にある山屋地区で昭和28年生まれ、七戸高校の畜産科(現在この科はない)に学んだ。担任の先生から「大岳に馬が現れる。昔の人はこれを見ながら農作業をした」と聞かされたという。それ以上、詳しいことは記憶にないという。



写真F 八幡岳西登山口から6月30日の全景。写真Cと同じ日にあたる。

◇   今年の「駒」の完成は、早かった ?!

里から見上げる「駒の雪」の時系列的なデータはない。たまたま棟方氏は1999年7月7日に井戸岳からの全景を記録している(写真G)。さらに、ことしのさまざまな姿態をとらえた翌7月8日にも棟方氏は同位置から撮影に成功した(写真H)。この2枚をくらべると顔、胴体ともに明らかに今年のほうが雪消えが進行している。後日に詳細な気象データで考察を加えるとして、1999年は4月〜10月は県内すべての観測地点で平均気温が平年より高く、7月以降は記録的な連続真夏日となった年である。今年は例年にない大雪であったが、その後の気温の推移は順調で、これがこのような結果をもたらしたのであろう。



写真G99年7月7日井戸岳から。(棟方氏撮影) 


写真H 今年7月8日同所から。(棟方氏撮影)  




写真I 雪消えが遅々としていた東側からの八甲田山も残雪はまばらになった。中央の八甲田山大岳は主峰の貫禄たっぷりで美しい「白馬」を従えている。左の高田大岳の左稜線にかすかに白い線が見えるが、これが高田大岳の「馬」の消え残り。(八幡岳西登山口、7月7日)


◇   七戸の里を眺める

秋のようにクッキリとはいかないが、八幡岳西登山口から遠く下界の各所が見渡せた。気温が上がっているのでうっすらとしている。濃い緑が森林、その合間に集落や淡緑の田園が広がる。できればこのシーンは「駒の雪」の上から眺めたかった。当分の間は棟方氏におまかせである。実のところ、私の今の心境からすれば「駒の雪」に立つということは、1969年7月20日のアポロ11号が月面「静かの海」に立つといったところか!? 棟方氏の知らせによれば、いま「駒の雪」上は夏スキーで大変賑わっているという。いずれ「駒の雪」がわずかひと握りになったころ登ってみたいと思っている。



写真J 八幡岳西登山口からの遠く下界の各所が見渡せた。気温が上がっているのでうっすらとしているが、濃い緑が森林、その合間に集落や淡緑の田園が広がる。(7月7日)


◇   七戸・・・・そこは「駒」の里

七戸の里は、まさに「駒の里」そのものである。ことしは春からずいぶんここを訪ねた。ヤマセで肌寒い日も多く6月に入っても灯油ストーブをつけています、といったことも聞いた。青森県の南部地方でもっとも歴史の古い町で、役場には「新幹線早期完成」のスローガンが掲げられ、いっぽう街中はしっとりとしていて城下町の風情が満ちみちている。山が見えないときは街中や周辺をじっくりと観察して歩いた。すると「駒」が、やたらに多いのである。



写真K 七戸の街はしっとりとして城下町の風情が満ちみちている。街中や周辺をじっくりと観察して歩いても飽きることがない。(6月22日)




写真L 地酒「駒泉」の看板。(7月7日) 


写真M「駒饅頭」の看板。(7月7日) 


あるわあるわ、どこに行っても「駒」だらけである。「清酒・駒泉」(写真L)の名はよく聞くがこれは七戸の地酒だったのだ。お菓子の「駒饅頭」というのもある(写真MN)。扁額の古色調の看板には「天皇皇后両陛下献上」とある。道路が狭いので看板や表札がよく見える。駒ヶ嶺酒店、牧場寿司、まきば旅館、駒井さん、駒峰さん・・・・。郊外に出た。真っ白なガードレールに「駒」の飾りがずっとついている(写真O)。ここには、国の機関である奥羽種畜牧場があるし、競走馬を育てる牧場も各所にある。神社には「絵馬」が奉納され重要文化財に指定されているほど歴史的な価値が高い。「駒」とともにひとびとは幸せな生活を祈る。そしてもっとも生き生きとした初夏の季節に、「駒の雪」は八甲田山大岳から微笑むのである。



写真N 古めかしい「駒饅頭」看板。(7月7日)   


写真O ガードレールにも駒。(7月7日)


◇   「駒」はどこからどこまで見ることができるか?!

「駒の雪」は、七戸のひとびとに独り占めされるものでもない。棟方氏は「駒の雪を探る〜其の一」に掲げたように、「駒の雪」の見通せるところを割り出した。この雪形がすむ八甲田山大岳は奥まっていて向かって左手に雛岳、右手に八幡岳があり、二つの真ん中からでないと見通せない。七戸町の中心部がもっとも良く、南は北野、北は寒水までとシュミレートした。 写真Pは北野に近い荒屋平で、大岳と雛岳が重なり「駒の雪」の上部しか見えない。写真Qは七戸町からさらに5q東に離れた天間林村花松で、ここからは良く見えるがこれより北にずれると八幡岳に隠されてしまう。一方、七戸から山寄りに近づいても山麓の森林に隠されてしまう。七戸から八甲田山にいたる道路を数q進むと嶽八幡宮がありここが最後に見通せる場所である。 「駒の雪」は、このように七戸町、天間林村、上北町、三沢市の一部にかけて春から初夏へのシグナルを送り続けている。大岳を起点とした角度にして約15度の範囲である。



写真P 荒屋平からは雛岳に下半身が隠される。
(7月7日)  


写真Q ずいぶん離れているが天間林村花松神社からも良く見える。(7月7日) 




写真R 山麓に近づくと、嶽八幡宮が最後に見える ところ。(7月7日)


◇   高原は初夏から夏へ!

7月7日、湯ノ台にも行った。もう一つの駒、「高田大岳の馬」は顔の一部と尻を残しているだけだった(写真S)。ここの駒は6月22日から24日が見頃であった。半月足らずで消えてしまったことになる。季節は夏に向かって急速に動いていた。



写真S 高田大岳の「白馬」はもう美しい姿はない。(7月7日、湯ノ台)




写真21 ブナの新葉は硬くしまっていた。
(7月7日)  


写真22 高原はノイバラ(写真はウスアカノイバラ?)が満開。(7月7日)


◇   高原は初夏から夏へ!

前にきたとき、高原は紅のタニウツギが咲き乱れ、雪の白とブナの緑の配色が美しかった。今は雪の白にかわってノイバラの白が草原のあちこちを彩っていた。もっとも多くの色はブナの緑だが、柔らかくみずみずしい状態から葉脈から葉肉ともに硬くなり、カサカサと特有の葉音を奏でるまでになっていた。しかし生き物たちに与えられた躍動の季節はあと二月ちょっとに過ぎない。



写真23 右・高田大岳の「白馬」は、わずか2か所の消え残りがその場所を教えている。鳶形岳(小岳)、松形岳(硫黄岳)は西からの雲に隠されている。前景には紅のタニウツギから白いノイバラに代わった。
(湯ノ台、7月7日)


文責  室谷 洋司

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