青森県八甲田山の雪形         室谷洋司

菅江真澄の雪形絵図

 今から二百年前の寛政八(一七九六)年の五月のはじめ,三河の人・菅江真澄は青森市の東南側の郊外を巡っていた.三内丸山の縄文遺跡を見た半月ほどあとであった.  八甲田山について土地の人からの話をもとに,次のように記録している.  「この峰に種蒔老翁,蟹このはさみ,牛の頭などという春の残雪が見える.雪もやや消えてゆき,苗代をまくころになると,山にたねまきおっこといって,残雪の人のたっている姿に見え,そしてかにこのはさみに見えるころ,田をかきならし,うしのくびに見えるころ,早苗をとって植える.農耕のそれぞれの季節に,残雪がそれぞれのかたちであらわれる.そして雪は六月のなかばに,すっかり消えてゆく.」(菅江真澄,「すみかの山(栖家能山)」(平凡社版))
 これは,わが国の「雪形」を民俗学的に捉える上で第一級の史料で,しかも美しく彩色された八甲田山の残雪図がその価値を高めている.(写真B)菅江真澄の日記の現代本はよく知られているが,図絵をキチンと添えているものは少なく,二十年前に秋田県立秋田図書館の許しを得て現物に接したときは手の震いが止まらなかった.

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  C菅江真澄・日記「栖家能山」(現存する写 本)の表紙 (秋田県立秋田図書館蔵。室谷洋司写)
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B200年前(寛政8年)に描かれた菅江真澄・ 日記「栖家能山」の八甲田山雪形絵図。左 から「蟹の鋏」「牛の首」が白く、「種蒔 老翁」が黒く描かれている。 (秋田県立秋田図書館蔵。室谷洋司写)

「すみかの山」の真筆本は所在不明で,これは写本と言われる.(写真C)和紙の反古紙を使っているので裏の文字が透けて見えるが,この着色絵図は,苗代田のむこうに現在の戸山,戸崎,桑原などの集落が描かれ,かなたには八甲田山(耕田山または八耕田岳)が悠然として,「種蒔老翁」が黒く,「蟹の鋏」と「牛の首」が白くくっきりと浮き出ている.後者二つの細密の位置関係については誤りがあるが,これは写本のためかまたは真澄自身が土地の人の伝聞によったからかも知れない.しかし,ここまでの完璧な物証を突きつけられると,八甲田山の雪形の名声はいやがおうでも価値が高まる.

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